取材相手はよく知っている二人。指定場所もとても安全な場所だった。

対談風景は穏やかに和やかに進んでいるように見える。

にも関わらず、なぜ、「命がけ」の取材となったのか・・・??

左から、Amazing JIRO、佐久間一彦、川島悦実

『川島悦実と愉快な仲間たち』というサイトを立ち上げたわけですけど、今回はJIROさん、佐久間さんとざっくばらんにいろいろお話をしたいなって思ったんです。

職業柄インタビューするのは慣れているので、お二人にいろいろお話を聞かせてほしいですね。そもそもJIROさんがこの特殊メイクの道を志したのはどういうきっかけがあったんですか?

もともと物を作るのが好きで、何かやりたいって思って多摩美大に入ったんです。そこでガラスを勉強したんですけど、何か一つに絞りたくなかったんですよね。東京芸大に行くと選択肢がもっと広がるっていうことで、多摩美に行きながら受け直しを狙って、それで芸大に入ったんです。工芸科ってところに入って、陶芸とか漆とか金属とかいろいろ選んでやるんですけど、結局最後は一つに絞らなければいけない。でも、一つに絞りたくなかったんですよね。

いろんなことをやりたかった?

何でも作りたいって思ったらどんな道があるんだろうって考えていました。大学を卒業してどの道に進もうって思ってた時に、たまたま『リング』『らせん』の映画の特殊メイクのメイキング映像が流れていたんです。リアルなものを作れるし、素材が何かわからないし、想像がつかない。こういうのを勉強したら何でも作れそうだなって思ったんです。特殊メイク業界の人って、大体がSFが好き、ホラーが好きというところから入ってくるから、ちょっとオタク志向なんですよね。だけど僕は何でも作りたいというところから特殊メイクを選んでいるから、とくに映画にもこだわりがなくて。とはいえ、卒業したら普通に映画の裏方で特殊メイクをやるのかなって何となく漠然と思っていたんです。そんな時にヘアーショーのオファーがあったんです。

それが川島さんとの出会いですか。

たしか国際フォーラムでショーをやるってことになって、2000人ぐらいのショーだったんですけど、誰かとコラボしてということだったんです。でも、興味のあるアーティストがいなくて、だったら学生とコラボしたいなって。それで巡り巡ってJIROさんにたどり着いたんですよ。

僕が学生だった時に青山の美容室からヘアーショーだと言ってオファーがあるわけですよ。学生の中には美容経験のある女の子がいて「URってところはすごいんだよ」って話を聞いて、そんなところから俺たちにオファーが来たの?ってビックリですよね。

当時は特殊メイクと美容がコラボするなんてことがない時代でしたから。

ちょうどハロウィンとかの準備で忙しい時期だったんだけど、どうせ美容室でヘアーショーだったら「妖精の耳をつけてほしい」みたいなオファーだろうなって思って行ったら、いきなりそこに川島さんが現れたんです。

第一印象はどんな?

超大男ですよ。髪型も今みたいな感じで、金髪でサングラスして(笑)。たしか表参道店の金色のソファーに座って「こんにちは」って言うわけですよ。

美容師ってこんなイメージだっけな?って思いつつも学生ですから、すげえなって思って。その横から「犬」(けん)さんがいきなりプレゼンを始めたんです。今回のテーマはベトナム戦争ですって。

懐かしいなぁ(笑)。

自分を含めて6~7人いましたね。

ヘアーショーのテーマがベトナム戦争で、JIROさんたち学生にオファーがいったと。

12体モデルをやったんですけど、ベトナム戦争をイメージして廃材だけで作ったんです。一つだけ髪の毛があるんですけど、あとは車の廃材とかで作ってるんです。

JIROさんとコラボするんだったら負けたくないって思うじゃないですか。

ヘアーがどこにも見えてないものばっかりでしたもんね。

あらわれたのは金髪の超大男。美容師ってこんなイメージだったっけ?ってね。(笑)

── JIRO

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懐かしいね。(笑)
後日JIROさんと会って、「JIROさん、人生変えよう」って口説いたんですよね。

── Kawashima

僕はパーツを作ってモデルの顔は生かしてって考えてたんですけど、他の同級生なんかは特殊メイクの技術を振えるわけじゃないですか。だからヘアーショーなんて関係ないんですよね。ゾンビみたいな血だらけのやつとか作る気になってて、大丈夫かなって思って(苦笑)。ヘアーショーで美容を見に来るお客さんに対して血だらけの人たちを見せるのかっていうのもあるし、あとはこっちのインパクトが強すぎるから、普通にヘアーを作っても特殊メイクばっかり目立っちゃうんじゃないかなって思ったんです。

当時は川島さんがどんな人かもわからないわけですもんね。

当日臨んで、みんな血だらけのすごいのを作ってるんですよ。僕は学生ながら変にバランスを気にしながらやっていたんですけど、控室にはどんどん廃材が入ってきて、それで頭のほうを作り始めたら、すごいデカイのとかありましたよね。

一体につき、20㌔とか30㌔の重みをつけてるんですよ。モデルたちもシンガポールとかいろんなところから来ている一流のモデルさんたちなのに、まったく顔が出てないんですよ。原型をとどめていないので。

モデルさんたちも大変ですよ。モデルさんって大体細くて顔も小さいわけですよ。そんな人たちが頭に20㌔も30㌔も乗せてわけですからグラングランして(笑)。

首がやばくなると寝かせてましたね。だから地獄絵巻みたいな感じですよ(笑)。

ヘアーがすごいことになってるから、特殊メイクどころのインパクトじゃないですよ。

負けたくないって思ったら、ここまでやるか!になりましたもんね。

そのヘアーショーがお二人の出会いだったんですね。

ヘアーショーの後に口説いたんです。6~7人の学生の中でずば抜けていたんですよ。物が違うって思いました。学生の時に描いていたデッサンも見せてもらったんですけど、評価が書いてないんです。「JIROさん、これなんで?」って聞いたら、先生が点数をつけてくれなかったんですって。

先生が評価できない作品だった?

それがコップと人間がコラボしてたりとか、絵画力のやばさですよね。僕も異端児とかキチ○イとか言われてるなかで、いた!って思いましたね(笑)。

同じ匂いのする人間がいたと(笑)。一緒にやっていた他の学生ではなく、JIROさんにだけ興味が湧いたんですね。

他はまったく目に入りませんでした。後日JIROさんと会って、「JIROさん、人生変えよう」って口説いたんですよね。

ショーをやってみて、表参道の美容師像とか、ヘアーショーとはこうあるものっていう、自分が常識としていたものが次々と覆されたんです。想像していたことが覆されたという経験が物すごく楽しくて、いろいろ面白いことができそうだっていうだけで、他の特殊メイク業界への就職は考えずに、またヘアーショーがあったら使ってくださいっていうのを言いに行ったんです。

川島さんに呼ばれた時に。

いや、実は呼ばれたからじゃなくて、周りには抜け駆けして訪ねていったんですよ。(笑)

── JIRO

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r_kawashima

えー知らなかった!それじゃ、最初から両想いじゃない?

── Kawashima

僕が行ったら、川島さんが「ああJIROさんが来てくれた」ってVIPに通されたんです。川島さんは誰かに僕のことを呼んでくれって頼んでいたんですよね。

そう。それで来てくれたと思ったんですよ。

でも違うんですよ。ウソをついて、「廃材が残ってるんだったら卒業制作で使いたい」っていうのを理由に、他の生徒たちには抜け駆けで川島さんに会いに行ったんです。

知らなかった。じゃあ最初から両想いじゃない?。

そうですよ。また何かあったらってお願いしようと思っていたら、その相手から逆に「来てくれた!」って言われて、なんだこりゃあ?みたいな感じで、一緒に何かやりましょうって言われたんです。

すごい。お互いに通じ合っていたんですね。でも、普通に就職しないことに不安はなかったんですか?

どうなるかはわからないですけど、まずはそこに行ってみようっていう気持ちでしたね。最初に川島さんに言われたのは、「表参道界隈に一部屋用意するから、そこに住みながらJIROさんの好きなもの作っていいよ」って。

たしかその時に、JIROさんが1200円か1400円で絵の先生をしてるって言ってたんですよ。この人はこんなのケタが違うって思っていましたから。

予備校で講師をやっていたので。部屋を与えてどうのこうのという話の前に、まだ学生が残り3カ月くらいの時にUR本店のVIPルームを好きにしていいよって、いきなり現ナマで100万円渡されたんです。

えー! 自由にやっていいと。

学生にそんなに自由にやらせてくれるなんて普通ではありえないですよね。

すごいVIPルームになったんですよ。宇宙船の中みたいな。

そうですね。でも難しかったですね。今だったらもっと違うものになるんだろうけど、その時はどうしていいかわからない。だってそのお金で何ができるかもわからないじゃないですか。そこから学校に行かなくなって、URに来ては何かしらやっていましたね。

特殊メイクで使ってくれって言っても、やっぱり学生映画とか、そういうのしか来ないんですよね。そういうのが来ると、こだわって作れば作るほど赤字になるんです。要するに5万円の仕事に半月かけたりするわけですから。だけど、その時に思ったんです。何もないからやれることって言ったら作品を生み出すだけだなって。財産というか武器を作ることだけだなって思いました。

その頃は有限会社が作れたんです。だから半分ずつ出資して会社を作ろうって言ったんですよね。

それがJIROさんの自由廊ですか?

そうです。

どこかで部屋を借りて物を作るっていうのもいい提案ではあったんですけど、それって自由なんだけど自由がないじゃないですか。そこは違うかなって思いつつ、でもやっていきたいんですよね。その時に川島さんから共同出資で会社を立ち上げませんかって話が来たんです。その頃はネットなんかやってないし、物件を探すのも大変で、一つずつ不動産屋に行って、あちこち行きました。そういうことも初めての経験でしたから。

僕はそういうところは絶対に手伝わないので。倉庫を見つけましたよね。

そうなんです。

作品を置くための倉庫ですか?

倉庫じゃないと大物を作れないんですよ。高さと広さがないと。キラキラ輝いている物作りの学生っていっぱいいると思うんですよ。でも表現の場がないんです。ともすれば学校の先生の評価を求める物作りしかしない。これは美容学校もそうだし、アート系の学校もそうなんですけど、パリに研修に行きましょうとか、ハリウッドに研修に行きましょうとか、キレイなきらびやかな世界だけを見せて、夢ばっかりを膨らませるんです。でも現実って3K+Kが何個もつくような、それぐらいしんどいわけですよ。JIROさんってそこの現実を最初から見ることができていたんですよね。

大きいほうが大きいものを作れるなってぐらいで、先のことなんか考えてないんです。だから100平米ぐらいの倉庫を借りたんです。まだ電気も通ってないのに何回も倉庫に行ってはシャッターを開けて、ロフトの上に座りながら100平米を眺めて、ここが今から俺の城だって(笑)。いきなり社長っていう肩書きだし、気持ち良かったですよ(笑)。だけど、一人でその大きさは持て余すわけですよ。

あそこに寝泊まりしてましたよね。

4年住んでましたよ。

作業場であり、家だったんですね。

本当は倉庫だから住んじゃいけないんですよ。下がコンクリートだし、スレート板っていって波板の下から空気がバンバン入ってくるところで。トイレはありましたけど、もちろん風呂はないので、流しで体を洗って(笑)。ベニヤ板を敷いたところをキレイに緑色に塗って、ちょっと家らしくしてゴザ敷いて、そこに4年住んだんです。

そんな生活を4年もしていたんですか。

誰でも最初は食えないんですよ。

どうしても成功した今の姿だけを見てそこを目指そうと思うと、最初の苦労で挫折するっていう若者も多いでしょうね。

そうなんです。そこは学校が間違ってるんですよ。こんなに素敵なきらびやかな世界なんだよってところしか見せないから。現実を教えてくれないんですよね。JIROさんも最初は絶対しんどかったはずなんですよ。共同代表ですけど、僕は何も手伝っていないので。でも途中、本当に苦しいって時にお話をして、JIROさんは物作りをしないといけないから過去に作ったものでも、今作っているものでも、全部言い値で買うからって言って、1回、僕の家がJIROさんのオブジェで埋まったことがあったんですよ(笑)。

僕が学生時代に作ったものとかもね。でも、それが元手というか、とりあえずの軍資金になったんですよ。それ以外にも特殊メイクでオーブンが必要だとか、必要なものがあったら買うからって言ってくれたんですけど、作品以外のものは買ってもらわないようにして、あとは自分でなんとかやるしかないって思っていましたね。だって、営業すら知らないわけですよ。どこに行けばいいかもわからないし、どうやったら仕事が入ってくるかもわからないし。

僕らも下積みはありましたけど、JIROさんは4年ですか。よく心が折れなかったですね。

── Sakuma

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JIROさんみたいにブレずに努力し続けられる人じゃないと無理なんですよ。

── Kawashima

自分の力量を理解してもらうまでが大変だと思いますけど、そういう状態からどうやって脱却したんですか?

JIROさんって人的魅力がすごくあるので、作品を売るじゃなくて、JIROさんに会った人たちがJIROさんに惚れるんです。自分を売るってことができる、珍しいタイプのアーティストなんですよね。そこに僕も行ってしまったので。今、アーティストとして生きていこうっていう人に間違ったらダメだよって言いたいのは、上から人を見ることは絶対にいけないってこと。出会って10年以上になりますけど、JIROさんが威張ってるところは1回も見たことないですよ。“テンション高く腰低く”って僕のモットーなんですけど、JIROさんが腰高いのを一度も見たことないですから。本当に一つずつですよね。

大家さんも説得して、「これから頑張って絶対に稼げるようになるから」って、本当は家賃15万のところを13万5000円にしてもらったんですよ(笑)。

ちょっと下がってる(笑)。

さらに水道代は大家さんが出してくれると。

大家さんも惚れて、期待してくれていたんでしょね。

でも1年経っても全然プラスがないわけですよね。

何年ぐらいかかりました?

自分が初めて給料として15万円を得たのが4年目です。

やっぱり石の上にも三年って大事なんですね。でも編集の人とかも同じようなことがあるんじゃないですか?

そうですね。みんなやっぱり最初は光の当たるところしか見ていないんですよね。好きなスポーツを取材できる、好きな選手に会えるとか、そういう表面的なものへの憧れですよね。でも、そこに行くまでにはやらなければいけないことがたくさんあるんですよ。

編集の人って夜通しですよね?

僕の場合は10年以上週刊誌をやっていたので、週2~3日は徹夜がありましたね。締め切りの関係で毎週日曜日は徹夜でした。一番は時間の恐怖ですよね。

締め切りがあるものはみんなそうですよね。

やらないと終わらないのでやるしかないんですよね。雑誌は白紙で出すわけにはいかないので、眠いの辛いの言ってられないですから。僕らも下積みはありましたけど、JIROさんは4年ですか。よく心が折れなかったですね。

楽しかったんですよ。2年目と4年目に『TVチャンピオン』っていう番組で優勝して、ちょっと期待しましたけどね。よくケーキ屋さんとかは『TVチャンピオン』で優勝すると、翌日はすごい行列ができるって言うんです。

行列はできたんですか? ブタになりたいとか、犬になりたいとか?

一切なし(笑)。翌日ちょっと気にしましたよ。シャッターを開けたら行列ができてるかなって(笑)。でも全然来ない。多少は営業力にプラスにはなったと思いますけどね。当時はとにかく作品を作り続けるしかなかったので。5万だったら5万なりの仕事をしていたらいいものを作れないから、とにかく作った作品をホームページに載せてました。

そこから引っかかる人もいるかもしれないですからね。

学生の時に飲みに行ったカラオケ屋の店員が確かウェブをやってたなっていうのを思い出して、それでお願いしてタダでホームページを作ってもらったんです(笑)。

僕は何にもしてませんから(笑)。

そもそも自由廊の語源って、JIROのRの前に「UR」を入れたたんです。

朗らかな自由な創作をやっていこうっていうことなんですよね。

今回やろうとしていることを川島さんは結成当時に話してらして、アーティストとか、みんなちゃんと自立して自分のやることをわかっている人たちが、集まってくるような部屋にしようと。廊は廊下の廊で、中国ではルームっていう意味だと思うんですけど、自由に入ってきて自分たちのやりたいことを作るような、そんなふうに会社がなったらいいねってことで自由廊になったんです。

でもきっと、アーティストってたくさんいると思うんですけど、JIROさんみたいにブレずに努力し続けられる人じゃないと無理なんですよ。

何でもそうですけど、ちゃんと終わらせないと次には進めないんですよ。

── JIRO

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ムダなことは一個もないんですよ。一個に挫折してしまう人間は、何をやっても挫折するんです。

── Kawashima

うまく行かない時に逃げるクセをつけてしまうと、
困難にぶち当たるたびに逃げるようになってしまうんですよね。

── Sakuma

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4年間倉庫で暮らしていたわけですもんね。

でも4年で良かったと思いますよ。だって一生ここの倉庫で寝泊まりしながら生きていくのかなって思ったこともありますもん(笑)。冷暖房がないですから冬は万年炬燵なんですけど、その中で寝泊まりするからフケだらけになるんです。室内なのに肩に雪が積もってたり(笑)。夏は汗かいても水でしか洗えないからニキビだらけで。大家さんもお湯つけてくれれば良かったのに(笑)。

やっぱり楽しかったっていうことが一番のエネルギーだったんですか。

それでも何かしら作るものがあったので。1カ月作るものがないとか、そういうことはなかったので良かったんです。なんだかんだでその頃はヘアーショーも結構あって、その都度、オファーもくれていたので。

その頃の作品もすごいですよね。恐竜をテーマにやったことがあるんですけど、悔しくてやけ酒を飲んだこともあります。JIROさんに勝てなくて。どれだけ頑張ってもツノに勝てないんです。トリケラボブって作ったんですよ。

トリケラトプスのイメージですか。

あまりにも顔とツノが強すぎて、何をやっても勝てないんですよ。編集の人が「いいですね」って言うんですけど、「何がいいんだ!」って崩して作り直したりとか、もがいてももがいてもまったくもってJIROさんのメイクに勝てなくて。この日はスタッフとやけ酒飲みましたから。「今日は本当にごめん」って。

その恐竜をやったのはまだ倉庫に住んでいる時代ですか?

そうです。この頃は特殊メイクをしっかりやってたんですよね。これは美容雑誌だったんです。美容雑誌のオファーって基本的には、一般の子たちがマネしたいヘアースタイルとかを提案しないといけないんですけど、たまたま恐竜がテーマで、それならってことでURに声がかかったんですよね。向こうが想像していたのは、恐竜っぽいヘアースタイルってことだと思うんですよ。

髪型がっていうことですよね。

ウチ以外3店舗ぐらい恐竜からインスピレーションを湧かした、誰が見ても恐竜に見えないものを作ってたんですよ。恐竜からインスピレーションだったら恐竜をイメージしないといけないじゃないですか。モデルがポーズしてるだけで何が恐竜だって。ウチは本当の恐竜を作ってますから。

川島さんは基本的にアクセルしか持ってないんですよ(笑)。

前に行くしかない(笑)。

トップギアしかないです(笑)。

だから僕が軽くブレーキかけながら、方向指示器出してこっちじゃないですか?って(笑)。

JIROさんってネイルの資格も持ってるんですよ。

そうなんですか?

なかなか仕事が増えなくて、特殊メイクだけでは不安に思った時期があったんです。それで川島さんにネイリストに男の人はいないみたいですって言って。もしネイリストになったらURの場所を借りて、ネイルサロンをオープンしていいですか?って言いましたよね。それだけ特殊メイクでは食えなかったので。

それで資格を取ったんですか。

そうなんですけど、自分で探した新宿のネイル学校に行ったら、20代前半とか10代の女の子ばっかりなんです。傍から見たらハーレムですけど、行ってる僕からしたらライオンの群れの中にいるシマウマ状態ですよ(笑)。黒いエプロンしながら自分の爪を真っ赤に塗って。その後ろでは「男ってさ」って女の子たちが喋ってて、年下の子に「これはどこに返せばいいんですか?」って聞いたりして。もう耐えられなくなって、なんとか早く1級を取ろうって思いましたね。3級、2級、1級ってあるんですけど、その時は飛び級で1級を受けられたんです。みんな100回のコースを受け終わってから1級を受けるんですけど、僕は25回ぐらいしか行かずに1級に合格しました。学校にもあんまり行きたくなかったので、その時出会った1級に受かった人を捕まえて、空いた時間もその子の家に行って、徹夜で朝まで付き合ってもらうっていうこともありましたよ。

とにかく1級の資格取得はやり切ったわけですね。

何でもそうですけど、ちゃんと終わらせないと次には進めないんですよ。

ムダなことは一個もないんですよ。一個に挫折してしまう人間は、何をやっても挫折するんです。

うまく行かない時に逃げるクセをつけてしまうと、困難にぶち当たるたびに逃げるようになってしまうんですよね。

そう。絶対に逃げるんです。

最初の選択肢が逃げることになってしまったら一番楽なので、それを繰り返してしまう。そういう人は何人も見てきました。

やりきらないと何が自分に向いていて、何が向いていないかなんてわからないんですよね。やりきっていないのに判断するのは早いじゃないですか。学校でもこれは自分のやることじゃなかったって言って辞める人がいるけど、やりきってみてから判断すればいいけど、やりきる前に判断したら無駄でしかない。学校でも10学べるところを5で辞めたら、1か2しか残らないと思う。そう思ってネイルをやったからにはやりきろうと。ちょうど特殊メイクの仕事も入るようになってきていたんだけど、1級をゴールにしたので、そこまではやりきろうって思ってやりましたね。結局、1級を取った時には特殊メイクに切り替えていたので、サロンをオープンさせてくれとは言いませんでしたけど。

でもJIROさんがネイルサロンをやったらとんでもない状態になると思いますよ。一回提案したことあるんですよね。爪と指輪とブレスレットとピアスとネックレスと鼻ピアス。それが全部つながってたらカッコイイですもんね。

でもネイルも本当に勉強したから、特殊メイクの仕事でも役に立つんです。たとえばレズのドラマがあったんですね。レズビアンが付き合う時って、相手ができた瞬間にそれまで伸ばしていた爪を切るんですって。

JIROさんがレズ?

違う、違う(笑)。ドラマって時間軸は関係なく撮影するじゃないですか。爪を切ったシーンもあれば、長い時もあるわけですよね。だから特殊メイクの技術とネイルの技術もなければできなかったオファーだったんです。他は誰もできないだろうなって思って。何でもやっておくものだなって思いましたよ。

これを聞いて自分もできる、やってみたいっていう人がいたらぜひ来てほしいですよね。

── Kawashima

r_kawashima
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ボロボロだなって時こそ、自分が一番輝いてるというか。
それでもやりたいと思っている自分が誇らしいんですよ。

── JIRO

JIROさんの昔のことって知らない人が多いと思うので、これを聞いて、自分もできる、やってみたいっていう人がいたらぜひ来てほしいですよね。

3年目、4年目ぐらいから、ちょっとは人が来るわけですよ。『TVチャンピオン』なんかで少しは名前も知られてきたので。来るスタッフには、俺はここでスタートしているんだからって言って、寝泊まりしている部屋に寝泊まりさせたんですけど、みんな1週間で体調が悪くなる(笑)。

絶対続かないよ(笑)。なんか虫がいたんじゃないの?

みんな1週間で体調悪くなるからなんでだろう?って思って、ベニヤを引っぺがしてみたんです。そうしたら、ホコリはすごいし、中でネズミは死んでるし、ゴキブリだらけだし(苦笑)。

JIROさんはずっと住んでいるから免疫ができているけど、いきなり来た人は具合が悪くなってしまうんですね。

あんなところでよく生きてたなって思いますよ(笑)。3年目に猫が迷い込んできたんですけど、その存在が意外に大きくて、心の支えになるんです。冬は温かいんですよ。自衛隊からタダでもらってきたサバ缶とか置いてあったりするんですけど、猫にあげるか自分が食べるか迷うんです(笑)。

それぐらい食べるのにも困っていたんですね。

ただ、半分野良猫だから、外に行って狩りをしてくるんですよ。朝起きると猫がニャーって僕のことを見てるんですよね。猫は狩りの成果を僕に見せようとしてるんですけど、僕が枕にしている冷たいものが、スズメだったり、ネズミだったりして(笑)。あと、猫はセミを捕まえてくるんです。夜、土から出てきた白いセミが木を登って行くんですけど、その木に登りたてのフヤフヤ状態のセミを、夜寝ている間に猫が捕まえてくるんです。白かったセミが、クローゼットの50㎝ぐらいのところで一泣きして死んでいくんです。夏はそれが目覚ましみたいなもので、ミーンって一泣きしたら死んでいくという。毎日捕ってくるのですごいいっぱいいましたよ。

やっぱり苦労することって大事なんですよね。アーティストだから俺は食わされて当然だ。物作りに専念するから生活の面倒は見てくれって思ってるアーティストはいっぱいいるんですよ。でもそれはアーティストじゃないです。自分の人生をクリエイトしないといけないんです。創造しないといけないんです。クリエイトできるアーティストでなければいけないんです。苦しい思いをしなければ、本当の苦労を知らない人は玄人にはなれないですよね。

その苦労も含めて楽しかったですけどね。

そこを切り抜けた人って、苦労を楽しむ術を覚えてしまうんです。これがハッピーマニアの精神で、苦労すら楽しんでしまうから続けられるんですよね。これは才能だと思います。

川島さんって楽しむ天才だなっていう印象があるんです。でも、楽しむことって読んで字のごとく「楽をする」ことと勘違いしてる人が多いんですよね。冷静に考えてみると、楽して適当にやることって楽しくないじゃないですか。じゃあ何が楽しいかって言ったら、一生懸命やることなんですよね。これは仕事に限らず何でもそうだと思うんです。勉強も楽しく感じる時って一生懸命なんです。嫌々やらされる時は楽しくない。恋愛にしても付き合いはじめは相手を喜ばせようと思って一生懸命だから楽しいんです。付き合いが長くなって楽しくないっていうのは一生懸命さがなくなったからなんです。ゲームにしても、新作を始める時って一生懸命だから楽しいですよね。でもRPGのレベル上げ作業になるとつまらない。全部、楽しいことって一生懸命やっていることなんです。JIROさんが苦労も含めて楽しかったって言いましたけど、仕事が楽しいって言える人は、一生懸命やっている人だと思うんです。

もはやその時、Mの境地に達するんですよね。どんな逆境に立とうと、こんな自分を楽しむっていう(笑)。

そのMの精神は根付いたらなかなか抜けないですよ(笑)。寝ることが無駄に思えてくるっていう。

Mの精神は佐久間さんもあるんじゃないですか?

仕事に関してはドMですよ。月に7冊も8冊も同時に作るのって普通ではありえないんですけど、それだけの量をやる場合って、連日朝9時から朝5時までの9時‐5時勤務、20時間労働になるんですけど、なんか段々おかしな境地にたどり着くんですよね。よく「大変だね」って言われるんですけど、好きなことしかやっていないから大変だと思ったことがないんです。

それはわかる。

どこかで仕事と趣味の区別がつかなくなる。そうなったら勝ちです。

こんなにやることがいっぱいあるし、こんなに寝てなくてやばいな、ボロボロだなって時こそ、自分が一番輝いてるというか。それでもやりたいと思っている自分が誇らしいんですよ。

トランス状態に陥ってるんですよね。仕事って人に仕える事も仕事だし、「私事(わたくしごと)」も「しごと」だし、でも、止まることも止事(しごと)なんです。そんなことをしていたら死ぬ事になって、それも「死事(しごと)」なんですよね。いろいろあるけど、もっと大事なのは、志の「志事(しごと)」。自分はこれがしたいっていう志を持ってやることですよね。あの時、JIROさんが見えていたのって、自分以上に作れる人間はいないって、どこかで絶対に思っていたんです。最初から目が変わってないし。そういう人って、人に対して上から言わなくてもいいんです。

威張る必要がない人は威張らないですよね。威張らないと自分を保てない人って威張るんですよね。

ヘアーショーで学生6~7人を見た時にJIROさんだけ別次元に思えたのは、最初から自分の志が見えてるんですよ。自分を信じてる。自信って誰でもできるんですよ。誰でも自分が一番好きだから自信を持つことはできる。ただ、オーラをまとうってあるんですけど、それは自分だけではつかないんですよね。人が自分を称賛してくれて、自分を認めてくれて、初めて後ろに背負えるオーラってものがあるんです。歩んできた道のりだったり、経験してきた修羅場だったり、そういう生き様そのもののオーラを背負っているんです。会った瞬間にそれをJIROさんに感じたんですよね。志すものが見えている人だなって思ったんです。

修羅場をくぐるって大事ですよね。よく「努力が報われる」とか言うじゃないですか。僕はそれは違うと思ってるんです。努力って報われるためにするものではないんですよね。自分で「俺はこんなに頑張ってる」とかいう人もいますけど、頑張ることは努力ではないんです。何かを成し遂げることが努力なんですよね。何かを成し遂げることによって自分にはできるという自信を得る。だから努力って自分に自信を積み上げるための作業なんですよね。報われたりするものじゃないんですよね。大したことない人に限って努力したって言うんです。すごい人は「努力が報われました」なんて言わないですよね。

そうですね。一個の山が見えて、登ったなって時、登りつめている時に他の山が見えるんです。そうしたら山を下りる時には、もう次の登山の心の準備ができてるんですよ。

行き止まりってないと思うんですよね。
本当のゴールは死ぬ時だと思うので、それまではスタートを何回も繰り返すんじゃないですか。

── JIRO

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しかも、思い通りにならないから楽しい。
創業者。新しいもの、0から1を作り出すこと、これを怠らないことが、結果的にトップになって
経営ができていくことになるのかなって思うんですよね。

── Kawashima

武藤敬司が「プロレスはゴールのないマラソン」って言いましたけど、ゴールがあったらそこに向かってしまうので、目標って決めないほうがいいのかもしれないですね。進む道はいくつあってもいいし。

こんなふうになりたいって思ったら、三つのハードルを立てるんです。今の自分はこうだから1カ月目でこう、2カ月目はこう、3カ月目はこうなっているっていう具体的なハードルを設けるんです。第1ハードルから第3ハードルまであるんですけど、一つのハードルを越えても、次が第2ハードルだって思わないで、そこをスタートラインにして、また第1ハードルだって思える人って到達地点がないんです。要は最初に決めたゴールが、6カ月後、9カ月後にはスタート地点になってるかもしれない。自分を甘やかさない。自分の到達地点はここじゃないって。到達地点ってわからないんですよ。天竺と一緒です。大切なのは自分をいかに戒めながら満足せずによりどん欲に行くことができるか。今見えている景色って、きっと本当の最終形態ではないんですよね。今の自分だからそこしか見えないわけで。1年後の自分は違うところを見てるかもしれないわけですよ。

ちょうど昨日同窓会だったんです。そこでみんなの見据えているゴールはどこだ?って質問が出たんですよ。「JIROはどこをゴールにしてるのか?」って。それで考えたんだけど、ゴールってわからないんですよ。そこで僕が言ったのは、ゴールは行き止まりだと。この先に何もやりたいことがないって感じたらそこがゴールだけど、今のところゴールを作ることはできないっていう話をしたんです。

きっとゴールって何かなって考えながら死ぬからいいと思うんですよね。おじいちゃんになって、また佐久間さんとJIROさんと縁側で「手が震えてきたね」って言いながら(笑)、「ゴールってどこかな」って言ってるうちが幸せだと思うんです。

今見えている景色のもっと先まで行きたいんですよね。

行き止まりってないと思うんですよね。何かをやったらそこがまたスタート地点になっちゃうから。もし震えてきたら、これを活かそうって話になると思う(笑)。本当のゴールは死ぬ時だと思うので、それまではスタートを何回も繰り返すんじゃないですか。

しかも、思い通りにならないから楽しいんですよね。これを見てくれる人の中には経営者の方もいると思うんですけど、経営者って営みを継続する者って書くんです。でも、営みって継続しようとしてもなかなか難しいものがあるので、大切なのは生業を作り出すこと。創業者。新しいもの、0から1を作り出すこと、これを怠らないことが、結果的にトップになって経営ができていくことになるのかなって思うんですよね。1ができたら安心してしまって、それが10なのか11なのか12なのかってそういう問題ではない。じゃあ100までいったらいいのか、ここがゴールかって言ったら違うんですよね。別のルート、別のルートで、もっと新しいことをできる。0から1。一度できた人だったら他の路線も行けるんです。それは8本足のいろんなところに触手を伸ばすっていう意味ではなくて、もっと自分はいけるんじゃないかって目標を持ち続けること。誰と遊びたいのか。誰とお砂場で遊びたいのっていう部分ですよね。

川島さんが人を見る時、この人と遊びたいと思う人、あるいはこの人すごいなって感じるのってどういう人なんですか?

一個だけ尺度があるとしたら、小学校までの教育が当たり前にできている人ですかね。元気で挨拶。いつも笑顔でいる。ウソをついちゃいけないなのかもしれないし、ご飯は残さず食べなさいないのかもしれないし、小学校までの教育をきちんとできている人って立派な社会人なんですよね。これは一流の大人なんです。

小学校を卒業する時に先生に言われた言葉で今でも守っているというか、続けていることがあるんですよ。

教えてください。

小学生っておかしいことに対して、「それズルイじゃん」って普通に言いますよね。だから「おかしいことをおかしいと言える大人になりなさい」って言われたんです。大人になると、立場とか周りの目とかを気にして、明らかにおかしいことをしている人がいてもそれを指摘できなくなる。損得勘定が働いて、上司には間違っていても言えないとか、見て見ぬふりをする。でもそれって正しいことではないですよね。相手がお偉いさんであっても、間違っているならおかしいって言われないといけないと思うんです。僕は大人になってからもずっとそれは続けているんです。

心が間違ってるのって嫌ですよね。

外してはいけない一線は何があっても外しちゃいけないと思うんです。

心ってあると思うんですよね、人間としての心。能力としての心。どっちも心って大事で、でも最後に大切なってくるのは、人間としてのピュアな心。それがない人はきっと成功しないんですよね。

よく講演とかで自分の苦労話を語って、それを聞いてる人たちが泣いてたりっていうことがあるんですけど、僕はああいう講演は絶対にできないですね。今まで生徒たちにも自分はどうしてここまで来たのかって話をするんですけど、どうしても笑い話になっちゃうんですよ。

苦労だと思ってないんですね。

だから努力したっていう話にならない。「ネズミがいてさ」とか話すと、笑い話にしかならないんですよね(笑)。

僕もそうなんですけど、努力してるってことがかっこいいなんて思えないんですよ。笑い話で言うからかっこいいんですよね。こんなに苦労してるって時は人に見せたくない。でも後から、こんなにひどかったんだよって言うから面白いんですよね。苦労話として話すことを美と思えないんですよね。

だから生徒たちもあんまりグッと来てないと思うんですよね。

昔の俺はすごかったんだよって言う人はよくいるけど、昔の俺はひどかったんだよっていうのはリアルなのでメチャクチャ面白いんですよ。しかもそれを笑いにもっていかなかったらオチがない。

失礼ながらJIROさんはまったく苦労感がないですもんね(笑)。

ないんですよ。だから苦労話で泣かせてる人はちょっと羨ましいと思いますよ。でも俺が話すとそうならないんですよ。

カモの水かきって、それを見せないからかっこいいんですよね。

たとえばアーティストとかがフリーでやってるとします。僕は今作品撮りを結構頻繁にやってるんですけど、フリーのアーティストに「そういうことをやっていけばいいじゃん」って言うんです。

JIROさんだから余裕があるから作品撮りをできるんでしょって言われるんじゃないですか?
JIRO そうなんですよ。「JIROさんは会社をやっててスタッフもいるし」とか言われるんですよ。いや、違うぞと。そうなるまでに水をかいてきたんだけど、僕からは伝わらないんですよね。JIROさんだからそれをできるんじゃんって感じで見ている人が多い。

時々、自分に対する戒めって必要だと思うんですよね。いろんなことがうまくいっていると、自分はすごいんじゃないかって勘違いしてしまうことがあるんです。

この前、佐久間さんと一緒にご飯を食べた時にいっぱいヒントをもらいました。「人とお話をしてて、『でも』から会話をする人は何もできない人だ」って言ったじゃないですか。何かをする時は「やるぞ」って肯定から入るんだって。否定から始まる人間は何も始まらないっておっしゃってたじゃないですか。あれは家に帰ってからすぐにメモさせていただきました。

川島さんって「でも」を使わないじゃないですか。人に意見を求めておいて、「でも」から会話を始める人って何もできないと思うんですよね。妄想すらできない人間は創造することはできないって思うんです。初めてやることでも、まずは成功の絵だけ思い浮かべていればいいと思うんです。こんなことできないって思ったら絶対にできないじゃないですか。人間って生まれた時はみんな素人で、できないことを一つずつできるようになりながら成長していくわけですから。

そうですね。もちろん、オファーでお金が合う、合わないはありますけど、基本的にはやったことのないオファーでも、自分で想像できることは、できることだと思うので、断ったことないですよ。

後輩たちにはいつも「できない理由を探すより、できる方法を模索しろ」って言ってるんですけど、言い訳を並べてできないって言うより、できる方法を探すほうがよっぽど有意義ですよね。

やってきたことの足跡はちゃんとあるんだなって思います。
だからもしも才能というものがあるとしたら、努力をし続けられるっていう才能です。

── JIRO

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ひとつの枠でくくってしまうともったいないんですよね。そうやって考えると異業種コラボとか、
まだまだいろんな可能性がある。だからいろんな人とお砂場遊びしたいですね。

── Kawashima

そういえば昔すごいのがありましたよね。トンカラリン。

熊本にある遺跡ですよね。

NHKの番組で、補聴器をつけたおじいちゃんが、「昔のシャーマンは生まれながらにかまぼこの板みたいなものをあてられて、それにへばりつけられたまま成長していくから骨格が崩れていく」ということを聞き取れないような日本語で言っていたんです。それを形にしてくれって依頼があったんですよ。それでできあがったトンカラリンを見てビックリしたんですよ。向こうも空想の世界を話してるんですけど、それを形にするJIROさんは物が違うなって思いましたね。

イメージしたものは形にできると思うので、そこは訓練だと思いますけどね。学校でデッサンを教えるんですけど、目をつぶってリアルな猫を想像しろって言ったらみんな猫を想像できるんです。ただ、絵に描けって言ったら、ここに想像できるものが絵に描けないんです。そこはもう訓練なんです。イメージしたものを何度も流すんです。それの繰り返しで、想像したものは何でも描けるようになるんです。だから想像できるものは僕は何でも絵に描ける、形にできるんですけど、みんなは簡単に「できない」って言っちゃうんです。そこは訓練してないからなんですけどね。イメージはできているのに形にできないっていうのは、そんなの私には才能がないからって言っちゃったら終わりですよ。

僕はもし才能って認めるとしたら、努力の才能しかないと思ってるんです。人は生まれながらに「天性の」って言い方をしますけど、それは努力しかないと思うんですよ。何か一つ人と違うものがあるとしたら、勘がいいだけ。勘がいいっていうのは宝くじと一緒で当たりも外れもあるんです。でも努力することによって精度が増して、100回打ったら100回当たる。これは努力、積み重ねしかないんですよね。勘がいいこととセンスがいいことは違うんです。センスは努力でしか身につけないと思ってるので。スポーツの世界も同じじゃないですか? センスがよくても努力しない選手は実にならないですよね。

そうですね。

だからもしも才能というものがあるとしたら、努力をし続けられるっていう才能です。その才能以外は認めないです。

勘のよさは持っているのに努力しないで失敗する選手っていっぱいいますよね。

さっきのJIROさんの4年間食えなかったっていうのも、努力し続けるっていうセンスがあったんです。JIROさんにセンスがあるっていうのも、きっと努力するセンスがあったんです。でもそれも努力しているという感覚もないぐらいのハッピーマニアなんですよね。

ハッピーマニアっていいですね。

妄想って大事ですよね。暴走族って法に触れるじゃないですか。だけど妄想族っていいんですよね。自分で妄想して楽しいって思えるって才能だと思います。人間のテンションのヴォルテージって下がってるともったいないんですよね。テンション下がってるって、その瞬間損してるんですよね。

“テンション高く腰低く”ですね。

そこです。

JIROさんはいろんなことやってきていますけど、これから先に見据えているものってありますか?

全然ありますよ。特殊メイク業界にいたら映画の裏方でしかないけど、川島さんと組んだおかげで違う世界を見ることができたし。僕がやった特殊メイクがヘアーとかと組むっていうのはすごく斬新なことであって、最初にヘアーショーで絡んだことですごくそこに魅力を感じてやってきました。だけどその頃はすごく異端なわけですよ。

人がやらないこと、できないと思っていたことをやったわけですよね。

自分が作りたいものを提案して、やってきて本当に良かったと思っています。だって、仕事として依頼があったものに応えているだけだったら新しいものなんか作れなかったと思うんですよ。自分の実績として、大きく変わったなって実感できるのって、ウチに入って来る学生が「ファッションとコラボしたい」とか、「美しい特殊メイクを作りたい」とか、「かわいい特殊メイクを作りたい」とか、そういう考えを持っている子がいるんです。僕らの頃って特殊メイク=ホラーとか、そういうイメージだったんです。でも、こうしてやってきたことによって、若い子たちはそれを当然のように受け入れて、そういうジャンルっていうことを普通に口に出して言える世の中になってきた。そういうところに、やってきたことの足跡はちゃんとあるんだなって思いますよね。

特殊メイクのそれまでの常識を壊したわけですね。

そういう意味ではいろんなところとのコラボはできると思うし、だからもしも才能というものがあるとしたら、努力をし続けられるっていう才能です。

僕はJIROさんに対して、特殊メイクの人っていう見方はしてなかったと思うんですよね。特殊メイクって枠でくくってしまうともったいないんですよね。そうやって考えると異業種コラボとか、まだまだいろんな可能性があると思いますね。だからいろんな人とお砂場遊びしたいですね。

管理人の編集後記

アレ??命がけになるところなんてなかったよね???

そうお思いでしょう。

ハイ、確かに、対談は滞りなく、終始朗らかに楽しく終了、となりました、なりましたよ。

なのに?

えぇ、そうです。最後の写真をよくご覧ください。

ジャーナリスト佐久間氏の、何とも幸せそうなワインの飲みっぷりを!

この対談、なんと、7時間半にも及んでいたんです。

そして、3人で食べきれないほどの食事を平らげ、3人で飲む量とは思えない量のアルコールを摂取しているんです。

ワイン2本ウィスキー2本、さらには焼酎も1本

いやいや、これで驚かないで。ワインは佐久間氏がお一人でたしなまれました、のだそうです。

どーかしてるぜ!と突っ込みたくなるのはグッと我慢。

記事を読む限り、とてもよいお話を最後までされているようですが、最後の方は全員ヘロヘロだったそう。

まぁ、皆様、ホントにお強いこと。

しかし!!佐久間氏のプライドはワインごときにはつぶされませんよ!

この7時間半の対談は録音されていましたが、対談の後は、その録音から全てを書き起こす作業が必要なのです。

翌日、川島氏がおそるおそる佐久間氏に連絡した時には、なんとか月末まで(およそ1週間)には、とのお返事。

えぇ、そうでしょう、そうでしょう。大丈夫です、大変ですが、よろしく・・・うんぬん・・・。ということで、川島氏は管理人の私に期限を告げました。

はーい、了解です!そう、そう思っていたんです。

それなのに!!翌日、衝撃の走る連絡が・・・!!

「原稿、あがりました!」

え??

は????

もぉー????????

そういえば、佐久間氏は先日、「天龍源一郎×長州力 日本一滑舌が悪い対談」のMCと、やはり録音からのテキスト起こしをされたばかり。

今回は酔っているとはいえ、7時間半とはいえ、プロにとっては十分に聞き取りやすかった、ということでしょうか。苦笑

でも、ただ聞き直すだけでも単純に7時間半かかりますよねぇ・・・?

いや、ほんとに。マッハすぎます。

あれほど飲んで、朝まで飲んで、翌日お仕事(本職の)されてたことだけでも尊敬していたのに。

頭も痛いです・・・とおっしゃっていたのに!

正味2日であがってきちゃいましたよ!(しかも、完璧!)

まさに、まさかの命がけ!の力の入った原稿です!

もはやこれまでか・・・?と、体調を心配していた頃、読み直した時に気になる箇所があったので改訂版送ります、とな!

私、言葉もありません。

と、いうわけで、3人の熱いトークと、佐久間氏のプロのお仕事に、ほんの少しでも報いたい!と思い、私も微力ながらこの対談を皆様に早々にお届けしたいと思います。

心に刺さるお話、共感したり、揺さぶられたり、またひとつ何かを乗り越えられるようなパワーを受け取っていただけたのではないでしょうか。

この想い、キミに届け~!

長々失礼いたしました。

最後になり恐縮ですが、川島さん、JIROさん、佐久間さん、本当にありがとうございました。

管理人